薩摩焼の引手 14代目 沈壽官

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間仕切襖のご依頼を頂きました!

といっても、本事例の主役は「引手」です。
薩摩焼の陶芸家 14代目 沈壽官(チン ジュカン)の作品ということで、大変貴重なものとなります。

滅多にない事例となりますので、薩摩焼と沈壽官氏について少し調べてみました。

■沈家について
16世紀に起こった豊臣秀吉による朝鮮出兵によって連行されてきた、いわゆる被虜人たちの殆どが陶工・織物・刺繍・紺屋・細工師・製油・医師などの技術者で、その後、有田、伊万里、萩などの各地で焼物作りをしてきたことは有名な話ですが、沈家の始祖である沈当吉もその被虜人の1人でした。
沈当吉は朝鮮の陶工でした。
被虜人たちは薩摩(鹿児島県)に居住することを命じられ、当初は三ケ所に分けられました。
被虜人たちが暮らした地域には朝鮮に因んだ名称で町立てされたところもあるようです。
被虜人たちは周辺の村民たちから差別や迫害に遭い苦しみますが、ときに薩摩国の政策、ときに保護という形で住まいや職業の支援を受けることで大変な苦労をしながら薩摩国に根付いていきます。

やがて薩摩藩の窯業(薩摩焼)の産業地として位置づけられた苗代川で、朴平意と沈当吉の両家を中心に陶業が盛んとなります。(本事例に掲載させて頂きました写真の中に引手の箱がありますが、薩摩焼と併記するかたちで「苗代川焼」とあります。)優れた陶工であった沈当吉は、島津義弘(島津義久の弟)によって藩の陶器所(薩摩焼)の主宰者に命ぜられ、役人なども兼ねていたようです。藩のお抱え窯元といった感じでしょうか。

沈家はそのまま続き、12代目のとき大きな転機を迎えます。
幕末維新によって藩の保護を受けていた窯が次々と廃業していきます。
ですが沈家は民間経営への移行に成功しました。
その後も沈家は鹿児島県における陶磁器産業の振興に尽力します。

薩摩焼には「日用陶器」と「御用品」の別があるようです。
「黒薩摩(黒もん)」と呼ばれる大衆向けの日用陶器と、「白薩摩(白もん)」と呼ばれる藩主向けの御用陶器です。
2002年(平成14年)1月に国の伝統的工芸品に指定

本事例の14代目 沈壽官(チン ジュカン)は日韓交流に尽力した人物として有名で、2010年に旭日小綬章を受章されています。また、司馬遼太郎と親交があり、司馬の小説『故郷忘じがたく候』主人公のモデルとなったとのことです。

襖の話からはだいぶ逸れましたが、沈家と薩摩焼の歴史はとても興味深いものでした。
ご依頼を頂き、誠にありがとうございました。

参考サイト:

沈壽官

薩摩焼



<部材情報>
両面:ルノン株式会社 しんせん第28集 934
引手:薩摩焼 第14代 沈壽官 福壽

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